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続:奈良の件

駄犬日誌 - 創作童話「パンダと白熊」を読む。

僕らは、医師に対し、「神」であることを求め続けていたということなんじゃないか。そんな風な気にすらなってくる。なんというか、「どうすれば、現状を改善することができるのか」という策すら、思い浮かばない。どうしていいかすらわからないっていうのは、ひどく、やるせない

ちょっと考えてみたのは、ガンを患って人がひとり病院で死んでも、こんなに大げさにならない気がするということ。実際、私自身の親がガンだと知って、その手術することになったときのことを思い出すに、なんていうんだろう、待っている側からすると、覚悟もできているから、万が一が起きても、受け入れやすいんじゃ無かろうか。

ガンの手術は、○月×日△時から行います。と、決まれば、ほぼ間違いなくその時間から手術は始まり、そして、それなりの結果が得られて手術は終わる。それは、手術を受ける人間が「患者」として、管理されているからに他ならない。

プロジェクトと同じだ。どういった部位のガンであるからどういう手術を行うであるとか、当日の麻酔はどのように行うであるとか、さらには、前日の食事を手術に影響のないモノにするであるとか、当日の手術室や集中治療室の空き状況など、考え得るすべてのリスクを排除した上で、綿密な計画の下、手術はとりおこなわれる。

ところが、出産は、「自然な状態で産む」のがすばらしいお産ということになっており、陣痛促進剤の利用であったり、帝王切開での出産というのを最初から選ぶ人はいない。「自然な状態」という成り行き任せなために、医師が行動を起こさなければならないのは、常に「非常時」となってしまう。

管理という意味では、妊娠がわかった妊婦は、すべて病院(あるいは相当する施設)に入院し、その施設で栄養や運動の管理を受けながら、37週目に帝王切開というのが、もっともリスクが少なくなるように思う。もちろん、そんな管理など、女性を「赤子製造器」として扱うに等しいように思う。たとえリスクが軽減されるからといえ、選ぶ人は少ないであろう。(しかも、リスクが完全に排除できてるわけじゃないしな……。予定帝王切開日の当日の早朝に破水して緊急帝王切開になったりとかするし……)

だからこそ、妊娠初期の段階で、リスクをしっかり説明し、「管理しない」ことによる起こりうる結果を受け入れてもらうというのが、必要なんじゃないだろうか?

と、そんな話をしていたら、うちの奥さんが、堕胎するという人もいて、それはそれでリスクのあることなのだから、性教育でしっかり説明しないとダメ。ってことになっちゃうよ?というツッコミが……。

むむむ。ちょっと、小学校高学年にするには、生々しすぎる話だよな……。

そういえば、「教師」にたいしても、ぼくらは「神」であることを求めているのかもしれないなぁ。と、昨今のニュースを見て思ったのだけど……。

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2006年11月01日 23:08に投稿されたエントリーのページです。

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